尾鷲にとって海は文字どおり「うみの親」
春のカツオに桜鯛。
夏ならハモ、メイチダイ。
秋のマイワシ、カンパチから冬はブリ、クエ、サンマ等等…。
四季を彩る多彩な魚達は、今も昔もかわらず人々の食を支え、また価値のある産品として、その生活の基盤となってきました。
豊富な漁獲に支えられ、干物、塩辛、さらには「あぶり」などの加工技術も栄え、単なる保存ではなく、魚介をさらに風味豊かに味わうための技術として伝えられてきました。
また、尾鷲の海はその恵みだけではなく、険しい山に囲まれたこの地においては陸路以上の生活の道として、また 海水浴や磯釣りなどの遊行地として、様々な形で人々を支え、癒し、見守ってきました。
時には嵐や津波といった険しい表情も垣間見せ、慈愛と厳粛さを併せ持つこの海。
長い歴史の中でともに生きてきた尾鷲の人々にとって、変わらぬ象徴としての母であり続けるのです。
海と山に囲まれて今も自然とともに暮らす尾鷲の人。
見渡す限りの自然のなかで、昔から人のつながりがずっと続いています。
お父さん達が奇祭「ヤーヤ祭り」で練り歩き、気勢をあげる横でお母さん達が古くから伝わる煮物をつけて子供たちはそんな大人を眺めながら、尾鷲を学びながら大きく育っていきます。
時代が流れ、街並みが変わっても、変わらない「何か」が尾鷲には今も息づいています。
古き神々が宿る紀伊の山々。
毎日その山々から昇る朝日を迎え、海に沈む夕日を見送りながら、人々は日々を?してきました。
その雄大さと険しい地形から、古くは山岳仏教や熊野信仰が栄え、滔々と流れるように山肌にのびる石畳の参詣道は、貴重な文化の足跡として世界遺産(文化遺産)に登録されています。
連なる山のうっそうと繁る木々の間につらつらと続く石畳の道々は、神代からそびえるこの偉大な山々に人々が開いた文化の道として、今も静かにただずんでいます。
この山々からは、良質のヒノキが産出され、全国的にも尾鷲ヒノキの名が良く知られるように、林業も発展してきました。
険しくも雄大なこの山々からは、今日も変わらぬ朝日が昇ります。