• HOME
  • >尾鷲のブリ

実はおいしい春のブリ。その理由は?

生態、資源

ブリの分布域は日本周辺、朝鮮半島東岸であり、漁獲のほとんどが日本です。近年、海水温の上昇によって分布域が北へ広がり、秋には北海道のサケ定置網でブリが捕れています。分布域の拡大によって資源が増え、全国的に漁獲量が増加、尾鷲市のブリ定置網においても豊漁の年が多くなっています。

ブリの生物学的特性

寿命 7歳前後
成熟開始年齢 2歳(50%)、3歳(100%)
産卵期 1月~太平洋側では5月頃、日本海では7月頃
食性 稚魚は動物プランクトン、未成魚以降はイワシ類、アジ類などの浮遊魚の他、底魚類

引用文献:我が国周辺地域の漁業資源評価

国立開発研究法人 水産研究・教育機構 わが国周辺の水産資源の現状を知るために>

▲ブリの分布域と産卵場

ブリ定置網と漁村

尾鷲市を含む熊野灘に面する三重県南部の多くの漁村では、地元住民らの出資で経営するブリ定置網が操業されています。ブリ定置網は、経済を支える最も重要な産業として各地の漁村に根付き、漁村の生活、文化、風習とも深くつながっています。ブリは尾鷲市を代表する魚のひとつとして「市の魚」に指定されています。

ブリが来遊する好漁場

尾鷲の海岸線は急峻なリアス海岸で、沿岸部は100m等深線が海岸線から2km以内に迫り、この水深100mの等深線上に大小の天然礁が続く、定置網の設置に適した好漁場を作っています。ブリ定置網はこの等深線が込んだ場所、すなわちブリの回遊しやすいルート設置にされています。冬から春にかけて、各地の漁村では、産卵のために南下するブリを今か今かと待ちわびます。

持続可能な「待ち」の漁業

魚の通り道に仕掛けられている道網により、魚の一部は沖の網に誘導されます。一部は登網から箱網に入ります。また、運動場で遊んでから一部は網の外へ、一部は登網から箱網に入ります。定置網では、毎朝箱網で操業し、魚を集めて漁獲を行います。このように定置網は来遊した魚だけを漁獲対象とする「待ち」の漁業であり、しかも来遊した魚の一部を漁獲することから、資源にやさしい、持続可能な漁業であると考えられています。

▲ブリ定置網の模式図(尾鷲市 早田漁場)

実はおいしい「春」のブリ

以前から尾鷲市を含む熊野灘のブリの美味しさは、地元ではよく知られていました。そこで、尾鷲市でフィッシュアナライザを使って脂の乗りを測定したところ、春にまとまって捕れるブリは脂の乗りが15~30%と非常に高い値であることがわかりました。この時期の丸々と太ったブリは、北の海で栄養を蓄え、産卵のために熊野灘に来遊してきた群れと推測されています。季節の移り変わりとともに身の脂は徐々に低下しますが、食べ飽きない程度のさっぱりとした味わいになり、卵や白子も味わうことができます。

魚種別の脂質含有(参考)

まいわし(生) 9.2%
かつお(春獲り 生) 0.5%
かつお(秋獲り 生) 6.2%
たいせいようさけ(養殖 生) 16.1%
まさば(生) 16.8%
たいせいようさば(生) 26.8%
さんま(皮つき 生) 23.6%
くろまぐろ(赤身、生) 1.4%
くろまぐろ(脂身、生) 27.5%

引用文献:日本食品標準成分表2015年版(七訂)

参考URL:食品成分データベース(文部科学省)

▲フィッシュアナライザによる脂肪率の測定

漁業者の声

私は大阪府の出身で、いわゆるIターンです。尾鷲市漁業体験教室への参加がきっかけで、中学からの夢であった漁師になりました。今では早田漁師塾などで来たIターンの仲間も増え、毎日が楽しくて仕方ありません。平成29年3月からはブリの活〆に取り組み、品質の良さが徐々に理解され、評価をいただけるようになってきました。これからも尾鷲のブリの美味しさを広めていきたいです。

早田漁師塾>

旬のブリを味わう

ブリの食べ方や脂のりの好みは人それぞれ。新鮮な歯ごたえを楽しむもよし、1~2日寝かせて旨味を引き出すのもよし。さっぱりがお好みなら、ブリしゃぶにしてあっさりいただくのもよし。あらは煮付けにすれば、捨てるところがほとんどありません。郷土料理のべっこう寿司や、食べきれなかった刺身のお茶漬け、ブリと同じ春に捕れる海藻ヒロメとのしゃぶしゃぶのコラボなど、漁村ならではの食べ方もあります。毎年正月には、九鬼町で大漁を祈願した神事が行われ、3月には、早田町でブリの魅力を情報発信することを目的とした早田ブリまつりが開催されています。

九鬼町ホームページ ブリのべっこう寿司>
九鬼鰤祭り>
早田町ホームページ 早田情報>
関連ページ:東紀州の新たな特産品「ヒロメ」>

ブリ定置の歴史

明治20年代 マグロを捕るための大敷網が経営される
明治31年 隣町の紀北町島勝でブリ定置網が操業開始
明治32年 尾鷲市九木浦で操業開始
明治33年 尾鷲市梶賀浦で操業開始
明治40年 尾鷲市早田浦で操業開始
大正3年 県内の贄浦が日高式大謀網に切り替え
大正4年~5年 須賀利、九木浦、島勝が日高式大謀網に切り替え
昭和2年~ 効率の良い現在の落網に切り替え
昭和25年~ 二重落網の開発、普及
竹浮き子からビン玉、天然繊維から化学繊維への一大革命の到来

ページTOP